はじめまして。
人生100年時代のパートナーシップカウンセラーの大山ミライです。
2度の離婚、大病を乗り越え、10年間の暗闇人生だった私が
豊かさを取り戻した理由・・・
HSP・愛着障害・アダルドチルドレン・共依存・完璧主義
パートナーとの関係性がギクシャクしている方へ
インナーチャイルドを癒すたびに本当の自分を取り戻し、
最高のベストパートナーを引き寄せられるように、
ひとりひとりに寄り添いながら、適切なカウンセリングを提供しております。
略歴
・病弱で孤独を感じる幼少期
・繊細で敏感、親や周りの人の顔色が気になる小学生時代
・自分の気持ちを押し殺すしかなかった家庭環境
・長い反抗期、負けず嫌いで完璧主義だった中学時代
・勉強よりも部活動に励んだ結果招いた2度の受験失敗(高校・短大)
・彼の存在と就活で勝利、負けず嫌いで完璧主義の私が選んだ大手証券会社
・彼色に染まっていく中での違和感
・人生最大の危機の4重苦、最大の危機を乗り越えた先に待ち受けていた心の病
・更なる悲劇~初めての地方転居で待ち受けていたこと
・2度目の離婚により目が覚めた
・保育士歴18年で気づいたこと
・暗闇を突き抜ければ光が見えてくる
・ベストパートナーを得られ人生好転~心理カウンセラーの道へ
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カウンセリングを受ける場合には、カウンセラーとの相性がとても大切になってきます。
カウンセリング受けたいと思った方、カウンセラーはどんな人なのか?気になりますよね。
カウンセラーの私がどのような生きづらさで悩み、克服してきたか、どのようなビジョンを持っているのかどうぞ参考になさってみてください。
病弱で孤独を感じる幼少期
物心ついた時からとても体が弱くて、病院に行く事が多かった私。
ある日原因不明の高熱が出て、何日も下がらない。
有名病院に連れて行かれ入院となりました。
薬のせいで歩けなくなってしまった自分は車椅子に座り、
「怖い、寂しいよ、家に帰りたいよ」
と心の中で叫んでいました。
色々な事に敏感で繊細気質、感受性が強かったように感じます。
3歳半の時に妹が生まれ、
幼心に「私はお姉ちゃんだからしっかりしなきゃいけない」と思いこみ、親に甘える事ができませんでした。
幼稚園に入っても、病弱だったせいで休みがち、友達を作る事ができませんでした。
その上物静かで繊細な私は先生に甘える事ができず寂しい思いをしていました。
幼稚園時代で既に、親にも先生にも甘えられない、親にとっては病気の時以外は
手がかからない子どもでした。
体は弱くて、いつも寂しいという思いがありました。
繊細で敏感、親や周りの人の顔色
が気になる小学生時代
小学校に入るとクラスの人数に圧倒され、更に臆病になり友達を作る事ができなくなり、
孤独を感じ寂しい日々を過ごしていました。
遠足の時、お弁当を食べる時間になると担任の先生が見るに見かねて、友達の輪に入れるように声をかけてくれました。
周りのお友達の表情、先生の表情や声色をすぐに察知して考えなくてもいいことまで
考えてしまう子でした。
小学生になっても尚、体調を崩し家で寝込む時間や病院に行く事が多かったのですが、
そんな時、私が辛そうにしていると両親が過剰に心配してくれて優しく寄り添ってくれていました。
母の表情はいつも険しいのに、私が体調が悪くなると柔らかい表情になっていたんです。
繊細気質故にそう感じていたのかもしれません。
幼稚園の頃から習っていたピアノ、繊細で耳が良かった事も影響してか音感は優れていて
弾く技術も上達が早くて、難しい曲もあっという間に弾けたんです。
音楽好きだった父はよく褒めてくれましたが、母はいつも無反応…
「何でお母さんは褒めてくれないんだろう?」
といつも心の中で思っていました。
自分の気持ちを押し殺すしかなかった
家庭環境
物心ついた時から、両親の仲はとても悪くいつも喧嘩が絶えませんでした。
そして父は親との関係性も悪かったのです。
私は祖父母が大好きだったので子供心に違和感を感じていました。
父は転職を繰り返していく中で、ストレスをお酒で発散するという生活をし、アルコール依存。日々父の激しい怒鳴り声が聞こえてきました。
父は愛着障害・アダルトチルドレンでもありました。
母は耐えられなくなると文句を言い、激しい口喧嘩となり、エスカレートすると父は物を投げ、母を叩く殴ることもありました。
その様子を見て聞いていた私は、胸がドキドキしたり泣く事もありました。
勇気をふり絞り
「喧嘩するのやめて!大声出すのやめて!」
と両親に気持ちをぶつけた事がありましたが、
「うるさい!黙ってろ!」
と大声で怒鳴られる始末・・
その時は本当に胸が張り裂けそうになり、部屋に閉じこもり泣きました。
父との関係性が悪くストレスの多い母は、いつ見ても不機嫌そうな顔をしているので
更に子どもの私は素直に自分の気持ちを話せなくなっていきました。
そして私は誰に対しても心を閉ざすようになり、小学校でいじめにあっていたことも、
両親に一度も話せずに一人で抱え込んでモヤモヤしていました。
長い反抗期、負けず嫌いで完璧主義だった中学時代
中学以降は友達を少しずつ自ら作れるようになるものの、人に合わせないといけないというストレスがあり中々自分の思いを伝える事ができずにいました。
違和感を感じながらも相手のペースに合わせるしかありませんでした。
居心地の悪い家庭で両親に対しては素直な気持ちが伝えられないせいで、いつも不機嫌な態度
をして、当たり散らし、反抗的な態度を取っていました。
自分を追い込んで頑張る事でバランスと取っていた気もしました。
ブラスバンド部でフルート、自宅ではピアノ、勉強では負けず嫌いでクラスでは上位の
成績と完璧に何でもこなさないと気がすまなくなっていました。
そうしていく事で両親に認めてもらいたい、褒めてもらいたいと思っていたのです。
でも相変わらず、母は私がどんなに良い成績をとってきたり、楽器が上手でも褒めてくれる事はありませんでした。
勉強よりも部活動に励んだ結果招いた2度の受験失敗(高校・短大)
中学で上位にいたはずなのに、まさかの高校受験で失敗し滑り止めの女子高に行くことになってしまいました。
自己肯定感は下がり女子だけの学校生活に違和感がありながらも、何とか楽しみを見出し、ブラスバンド部に入部し打楽器担当、今までの悶々としていた生活から一変、3年間情熱を注ぎました。
しかし学力は急降下、内申点が足りずに、大学附属で選んだ高校なのに希望の科に行けず、外部受験することになり、短大受験失敗となりました。
2度目の受験失敗がきっかけで、自己否定が始まりました。
浪人は親が許してくれず、唯一1校推薦してもらえる短大に行くしかありませんでした。
完璧主義で負けず嫌いな私は本来の自分の学力以下の偏差値が低い短大、しかも都会から
田舎へ通う事が嫌で嫌で仕方がありませんでした。
短大生活は、暗闇からスタート。
小学校と幼稚園教諭の資格取得を目指す学科でとてもとても忙しく、宿題は毎日。
憧れていた短大生活からは程遠い。
「こんな短大生活なんていや!楽しくない!」
という毎日を過ごしていました。
彼の存在と就活で勝利、負けず嫌いで完璧主義の私が選んだ大手証券会社
短大2年の春、友人から誘われたダンスパーティーで知り合った男性と意気投合し人生初の
彼ができた事で短大生活ががらっと変わりました。
彼の存在ができた事で自己肯定感もアップ。
私が持っていない才能を彼は沢山持っていたことで、どんどんその魅力に惹かれていきました。
当時キラキラしていたディスコ、そこでのダンスパフォーマンス、ビリヤード、スキー、
など彼からたくさん教えてもらいました。
彼と会う度に新しい発見があり本当に刺激的で、楽しい付き合いでした。
2年では教育実習や宿題に追われ大変な日々でしたが、彼ができた事がきっかけで入学時暗闇だったスタートから少しずつ光が差し込んできて、1年で大きく自分が変わっていくことを実感しました。
就活の時期になると急にやる気スイッチが入り
「私は絶対大手の上場企業へ入る」と決め、熱心して動いた結果、
大手証券会社から内定をもらう事ができました。
2度の受験の失敗を払拭するかのように、大手企業への就職が決まった事で、
親や親戚、周りの方に褒めてもらえた事から自信に満ち溢れ、承認欲求が満たされていきました。
何年も味わった事がない感情でした。
入社した時代はバブル絶頂期、仕事はとても忙しい毎日でしたが、アフター5の同僚との付き合いはとても充実し刺激的な日々を過ごせていました。
しかしながら、大学生だった彼との付き合いは仕事とは反対に難しくなっていきました。
会えない時間が増えていく事で気持ちのすれ違いが生じていきました。
同時に家族とのコミュニケーションも薄くなっていきました。
彼との付き合いを反対していた母とは度々喧嘩が生じ、過干渉で信頼してくれない事で、実家暮らしが段々ストレスとなっていき、早く家を出たい願望が強くなっていきました。
彼色に染まっていく中での違和感
実家での生活が嫌だった私はどんどん彼へ依存していきました。
大学卒業してから就職するも、超多忙となり平日休みとなり更にコミュニケーション
が取れなくなっていきました。
私がお休みを彼に合わせるというパターンになっていきました。
私が彼にスケジュールを合わせてばかりで彼からは合わせてくれようとしませんでした。
初めは言葉遣いも丁寧で優しい印象だった彼、時が経つにつれ、自己中心的な面が
現れてきました。
平気で大きな嘘をついたり、0か100しかない発言、お金遣いの荒さが目立ってきました。
喧嘩すると、突然きれたり、怒鳴ったり、物を投げ捨てたりすることも出てきたり、
機嫌が悪くなると連絡がとれないこともありました。
「信じられない、なんでこんな事するの?」違和感が生じる日々。
母親との関係性も悪かったのです。
彼に対して色々な違和感を持っていたのにも関わらず、最終的には相手を許し、対等ではない関係性に疑問を持たず、ただ自分が相手に合わせるという選択をしていきました。
自分に自信がなかったことも影響していました。
初めて付き合った方と結婚したいという思いがあった事と、早く実家を出たいと思っていた事から違和感があるにも関わらず、早く結婚しようと考えていきました。
違和感を抱えながらも
「彼にはいい所も沢山あるし、優しい時もあると」と自分に言い聞かせ、納得させていました。
結婚準備の段階になっても、2人の休みが合わない事から、いつも何か決める際は私一人で、
結婚式の打合せもたった1度しか来てもらえませんでした。
人生最大の危機の4重苦、最大の危機を
乗り越えた先に待ち受けていた心の病
そのような相手ですから当然、結婚後も関係性が悪くなる予感はしていました。
私は相手のペースに全て合わせていく事となり、そして振り回されました。
「何の為に結婚したんだろう」と頭をよぎる日々・・
お互い仕事に打ち込んでいった結果、どんどん気持ちがすれ違っていき、立派な仮面夫婦でした。
お休みが違う為、当然2人で買い物に行ったり、お出かけしたりもなく、
一緒にのんびり過ごすことすら皆無でした。
将来設計もできず、子どもは後回したのに、借金してマイホームを持ちました。
しかし2年足らずで、夫の借金、DV、女性問題が発覚。
毎晩一人寝室で布団を被って泣き、眠れない日々を過ごしていました。
私は夫とのすれ違いをなくしたいという思いで退職を選択しましたが、
関係性は更に悪化し耐えられず別居。
離婚成立するまでが本当に壮絶なドラマがあり、苦悩の日々でした。
弁護士に入ってもらっての離婚となりました。
離婚後に子宮頸がんが発覚し、子宮筋腫も見つかりました。
そして、16年間の彼との関係性が絶たれ大きな喪失感から、
不眠症が悪化し心療内科へお世話になることになってしまったのです。
30代半ばで「望まない退職」「子宮頸がん」「離婚」「精神疾患」
の4重苦を背負うことになり人生どん底期でした。
その頃、周りの友人や妹たちは、子育てや出産ラッシュ。
比較しては「私は惨めで孤独」
と、毎日胸が張り裂けそうな日々を送り本当に辛くて悲しくて泣いてばかりでした。
どん底でも救われたのは、子宮頸がんが初期で見つかったことでした。
30代半ばで子宮の病気を患ったことで、子どもを出産することを
諦めなくてはならないかも、とこの時感じていました。
更なる悲劇~初めての地方転居で
待ち受けていたこと
心身共に落ち込みながらも実家に出戻り、生活基盤を少しずつ整えていく事ができました。
在職中に保育士資格を取得していたので、保育の仕事もできるようになり日常を
取り戻していきました。
そして憔悴していた私を救ってくれたのは、音楽仲間だった年下の彼の存在でした。
表面上は何とか立て直そうと必死でしたが、心は傷心・・
完全に傷が癒えてない中、彼への依存が始まりました。
好きな音楽が一緒だった彼といる時は、とても居心地がよく元気になれたんです。
でもその彼からある日、地元の地方への異動が決まったことを告げられ、
もの凄く悩んだ結果、
私は人生初となる地方への転居決断し、そして彼と同棲することを決意ました。
地方への転居で待ち受けていたのは、空虚感。
彼以外に知り合いが誰もいない訳ですから・・そんな中で彼の両親が過干渉であること。
そして彼が、マザコンだったこと。
違和感体験する日々が増えていきました。
そんな違和感を抱えながらも半年後に入籍をし、ハワイで挙式。
帰国後のある朝、突然起きる事ができなくなり、起き上がった後も何も行動する事ができなくなってしまいました。
異変を感じ地方の心療内科を受診した所、鬱病と診断されました。
2度目の離婚により目が覚めた
鬱病治療の為、1年も経たない間に別居。
心療内科を転々としました。
心療内科通院に加え、子宮頸がん術後経過観察と子宮筋腫を抱えていた為、
婦人科通院もありました。
手術は計3回、婦人科通院中、お腹が大きな女性を見ると虚しさを感じたり
心が苦しくなったりもしました。
40歳を迎え、鬱で服薬治療、子宮の病気により子どもを授かる事は断念しなければならない
と、ネガティブな事を考えてばかりいました。
服薬治療で鬱が少しずつ改善していく中で、再婚夫と再び同居するとDVが発覚しました。
発覚後エスカレートし、私はパニック障害になりました。
一緒にいると動悸がして落ち着けない状態になりました。
ある時、義母に夫のDVの事を相談、最初は話をよく聴いてくれて私をかばってくれましたが、
最終的には夫(息子)を味方し、私を非難するようになりました。
この状態では夫婦生活もできず、別居を自分から希望。
その後離婚となりました。
一人での生活になってから、
心と身体は密接に繋がっている事を思い知らされ、
初めて味わう解放感なようなもので満ち溢れていきました。
保育士歴18年で気づいたこと
2度目の離婚後は、会社員時代に取得した保育士資格を生かす為に
保育園で保育の仕事に専念しました。
学生時代から子どもと関わる仕事がしたいと思っていた夢が実現でき
子どもと接していくと自分の過去と向き合う場面に遭遇し
自分を癒し、インナーチャイルドへの興味が増幅していきました。
「三つ子の魂百まで」と言われるように、
親子の愛着形成、養育者との愛着形成の大切さを思い知らされました。
子どもとの関わりで癒される一方、職員との関わりではとても苦労しました。
年上の同僚からのパワハラ、嫌がらせを受ける日々・・・
暫く我慢をしていたある日、
起床後突然立ち上がれなくなってしまったのです。
検査の結果、良性発作性めまい症と診断されました。
医師によるとストレスからくる病とのことでした。
その時も、改めて心と体って本当に繋がっていることを実感しました。
暗闇を突き抜ければ光が見えてくる
10年以上心療内科通院、2度の結婚離婚を経験した事で、自分自身を深く見つめ治す
きっかけとなりました。
結婚した相手が2人共、愛着障害、アダルトチルドレン、共依存だった事、それは私が
そういう男性を引き寄せてしまったという事を理解していきました。
私が何より愛着障害、アダルドチルドレン、共依存で自己肯定感が低かったからです。
離婚して完全に一人暮らしするようになり「心と体は密接に繋がっている」
という気づきを得られてからは、とにかく自分を癒して大切にする
「心の声」を無視しないということに取り組んでいきました。
そして保育士ライフの中で「心理カウンセラーになりたい」という気持ちがどんどん強くなっていきました。
ベストパートナーを得られ人生好転~
心理カウンセラーへの道へ
半世紀近い人生経験の中での様々な苦労や挫折経験を自力で乗り越え、
心理療法によりV字回復してきた事から、同じように苦しんでる方の力になりたいという
強い思いが湧き上がってきました。
保育士として勤務しながら、心理カウンセラーになりたいと強く思うようになっていったのです。
それからは、名著と言われている心理学の本を熟読し、数々の心理カウンセラー講座や
メンタルトレーナーのセミナーを受講して学びを深めていきました。
心の仕組みの学びを深めていくと、次から次へ何故自分の身に違和感体験が生じてきたのか
という事が腑に落ちていったのです。
心理療法によって、更に自分がよい方向に変わっていく事も実感できました。
自分自身が変わり自分を大切にしていくと人生が好転し始めるようになりました。
そして、両親や過去に生じた違和感な出来事を許し感謝していけるようにもなっていったのです。
◎安心と安定の土台を築くワーク
◎トラウマ解消ワーク
◎自分の本音に気づくワーク
◎インナーチャイルドを癒すワーク
◎未来の希望を見い出すワーク
これらのワークを習得したことによって
自分だけではなく、過去の私のように悩んでいる方へ
生きづらさを解消し、導けるようになりました。
私自身、これらの心理療法によって、ありのままの自分でいる事の大切さを知る事ができ
インナーチャイルドを癒せていくことにより自分にマッチしたベストパートナーを引き寄せる
事ができました。
相手の前で自然体でいる事ができて、安心感があるってこういう関係なんだと
実感しています。
長年、自分の心の痛みを必死で隠しながら生きてきました。
家庭機能不全(アダルドチルドレン)で育ち、歪んだ環境を生き抜く為に
心の鎧を身にまとわないとなりませんでした。
HSP気質、愛着障害、共依存、完璧主義の私は
2度の離婚・大病を患い、心身共にぼろぼろになり
暗くて長い暗闇のトンネルに入ってしまいました。
でも、その暗闇の中にいる時こそが自分を成長させる
きっかけ、成長の種が宿っている事がわかったんです。
自分自身を深く深く見つめ直し癒していくことで
心と体が密接に繋がっている事に気づかされました。
その気づきにより暗闇を突き抜けていくと光が見えてきました。
光が見えた後で人生が少しずつ好転しはじめたのです。
「本当の自分を取り戻して最高のベストパートナーを引き寄せる」
人生100年時代、生きている限り人生何度でやり直せます。
そして人生は取捨選択の連続、時間は有限、可能性は無限です。
私の長年の人生経験が、同じ悩みを抱えている方のお役にたち
心の拠り所になれたら本当に嬉しい限りです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ここまで読んでくださったあなたにお会いできるのを楽しみにしております。
ZOOMが初めての方でも事前に使い方を
お伝えしますのでご安心下さい